洋画と海外ドラマが好きで、月に数本は見ています。
昨夜は『イミテーションゲーム』という第二次大戦時代にイギリス軍の情報戦略に関わった人々をテーマにした映画を見ました。
1930年代のイギリスは、今とは全く違い、男女が同じ室内で仕事をすることは基本的に禁じられていて、女性の職業選択の自由は当然ほとんどなく、同性愛者は逮捕されていた時代。
ハラ、パワハラ、モラハラは当たり前。
LGBTなんて言葉も考え方も発信することができない社会。
こういう歴史事実に触れると、現代の自由を得るために犠牲になった人々を思い、しみじみとしてしまいます。
さて。
世界史から規模を狭めて私の話。
現在では様々な方向からアプローチしている、私の『女性の釣り人を増やす活動』は今年で17年目に突入。
※写真は本文と関係なさすぎです。すみません。
17年前の30歳の誕生日を機に、それまで『陸っぱり – オカッパリ』と呼ばれる陸上からの釣りに加え、船の海釣り(沖釣り)を始めたのがきっかけでした。
それまで陸上から1人黙々と釣りに没頭している時にはほとんど気にも留めなかった事が、沖釣りで急に気になりました。
それは『明らかな男女比の差』でした。
私は船舶免許も船も所有していないので、沖釣りをする場合は『乗合船』というシステムを利用します。
この『乗合船』で1人あたりの料金を支払い、他の釣り客と同乗して釣りを楽しむか、仲間と一緒に貸切料金でチャーターする『仕立船』が大まかな選択肢。
少なくとも数人、多いときは20人近く同船者がいる乗合船で、ある日私は気付いてしまったのです。
ほとんど毎回、乗船者の中で女性は私一人だけだ、と。
〜しかない、という最近の流行表現を使うと、当時の私にその状況は『違和感しかなかった』です。
バブル期に多感な時期を過ごし、体育会系大学生から社会人となった私はそれまでに様々な遊びや趣味を経験していました。
テニス、ゴルフ、カラオケ、登山、キャンプ、スキー&スノーボード。
しかし、どの場にも私以外にも女性は居ました。
しかし釣りだけは違いました。
釣りをする女性というのは当時は本当に少なかったのです。
その少なさは学生時代に始めた陸上の釣りでも同じでしたが、前述の通り、一人で黙々と釣るのが当たり前のシチュエーションゆえに気にならなかっただけのこと。
自分以外に女性が少ない、もしくはいない遊び場は、ずっと男女共学で育ち、体育会系女子部に所属していた私にはかなり居心地が悪く感じられました。
良くも悪くも、と言うか、男の中に女が一人という状況に全くと言っていいほど慣れていなかったし、それまで女性だからと優しくされたり(!!)保護されてきた自覚もほとんど無かったのが影響していたとは思います。
この違和感を無視できない。
そう思った私はすぐに行動を起こしました。
その最初の一歩が、私自身の釣り生活を発信するWEBサイトの公開でした。
・・・・・長くなりそうなので次回に続く